「……秀一は、林檎をむくのが上手ねえ、本当に」 昼下がりのキッチン、自分の隣で林檎をむいている息子の手際のよさに、志保利は感心していた。 今日は、志保利の新しい息子、もうひとりの「秀一」の誕生日である。 今年は手作りのケーキを作るわ、と志保利が言うと、彼は「手作りケーキなんて初めてだよ」と子供のように喜んだ。 何のケーキがいいか希望を訊いたところ、「アップルパイにバニラアイスのっけて食べたい」ということだったので、バースデーケーキはアップルパイに決定した。 初挑戦のパイに四苦八苦する志保利を、休日で家に居た秀一が手伝ってくれている。 林檎の皮をむいていた手を休めて秀一は言った。 「そう?母さんのほうが上手だよ。俺、ウサギとか最近やっときれいにできるようになったし」 「まあ、ウサギ?」 かわいらしい言葉を口にするものだから、志保利は笑ってしまった。 昔から、手先の器用な子だった。 いや、手先だけでなく、何をするにも器用で、本当に手のかからない子だった。 志保利は、再び林檎の皮むきに没頭する息子の横顔を見つめた。 母親の欲目抜きでも、きれいな子だと、思う。 いつの間にか随分と背が伸びた。この子が髪を伸ばし始めたのはいつ頃からだっただろう。前にも、こんな風にこの子の横顔を見ていたっけ。手際よく林檎の皮をむく横顔……。 「……何?」 志保利の視線がくすぐったいのか、秀一はまた手を止めて、苦笑した。 「……ちょっと、思い出していたの」 「ん?」 秀一は穏やかに笑って、続きを促す。 この子がこんな風に笑うようになったのは最近だ、本当に、最近のことだ……。 「母さんが入院してた時……秀一、よく林檎をむいてくれてたわね」 息子の笑顔に、ほんのわずか、影が差す。 「初めてむいてくれた時、あんまり上手だったから、びっくりしちゃったの」 「うん……他にできることがなかったから」 何もできなかったから、と秀一は言った。少し、悲しそうに。 そう、この子はあの頃、よくこんな 母親なんだから。 「こんなこと言うのもおかしいかもしれないけど……」 苦笑まじりの溜息がこぼれる。 「あの頃、私もきっと、弱気になってたのね……時々、秀一がいなくなっちゃうんじゃないかって、思う時があったの」 あの、悲しい笑顔を見ていると。 どうしようもなく不安になって。 「どこか、母さんの知らない遠いところに行っちゃうんじゃないかって、思……」 話しながら、目頭が熱くなってきた。 いけない、泣いてしまいそう。 だめよ、今、こんなことで泣くなんて。 この子の前で泣くなんて。 「いやね、年とっちゃうと、涙脆くなって、」 「……母さん」 笑ってごまかそうとしても、聡い息子は察してしまっていた。 穏やかな声音で秀一は言う。 「前に、言っただろ」 少年らしからぬ、柔らかな口調。とてもやさしい。 ああ、この子は、この子は、本当にやさしい。 「どこにも行かないよ」 どこにも行かない、と、秀一は繰り返した。 そうだ、あの時も。 あの時も、この子はそう言ったのだ。 やさしく手を握ってくれた。 私の前で、多分初めて、涙を見せた。 “ここにいる、どこにも行かないよ、母さん”。 「……ありがとう」 あの時、言いたくて言えずじまいだった言葉が、口をついて出た。 「ありがとう……」 私、しあわせだわ。 今、とても、しあわせ。 こんな風に、あなたとアップルパイ作っていられる、当たり前の日常が、とてもしあわせ。 「……本当、涙脆くなっちゃって、ダメね」 我慢していたのに、涙が一粒、こぼれてしまった。 「母さん。ほら」 秀一は林檎を一切れ、志保利に差し出してみせた。 いつの間に作っていたのか、林檎の赤い皮が、かわいらしく細工されている。 「ウサギ」 志保利は涙目のまま吹きだした。 「上手ね」 愛らしい林檎のウサギを、志保利はそっと受け取った。 |
相互リンクと、このサイト一周年の記念に高月さんからいただきました。 親孝行息子という真の南野秀一の姿にノックアウトです。 ウサギりんご……!!うさ、うさっっ!!……ぐぇっほがはふぐ… ひょっとしてタコさんウインナーとかカニさんウインナーとかも出来るのでしょうか彼は。 俵型おむすびも握れるのでしょうか。 剥いたりんごの皮でへびとかコマとかやっちゃうんでしょうか。 ぶーッ!!ギブギブ!! …いえ、冗談抜きで本当に感動しました。 志保利さんからの視点というのがとても新鮮でしたし、 多くを語らずとも志保利さんを優しく気遣う蔵馬もとても素敵です。 気丈で、涙もろくて、どこかかわいい、そんな志保利さん。 蔵馬にとっては「一番美しい人」なんだろうなと思いました。 ほのぼの南野親子がたまらなく嬉しいです。 高月さん、本当にありがとうございました!! |
03/12/1 詠実 |